ハチオウジタロウのブログ
八王子発 家族日記
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津久井湖城山公園【4】
「本城曲輪」を後にし、「飯縄曲輪」を目指します。

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「飯縄曲輪」に到着しました。

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「飯縄神社」があります。

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この辺りに「烽火台」「鐘撞堂」があったとされています。

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下山することにしました。

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「三増峠」が見えます。以前「愛川町郷土資料館」へ行った際にこの「三増峠の戦い」で敗れてしまった「北条氏照」の書状が展示されていたのを思い出しました。
津久井城は北条氏の傘下にありましたが、北条氏照の滝山城領ではなく、津久井城を中心とした津久井領が形成されていました。そして津久井城は北条氏の相模・武蔵と武田氏の甲州の境目にあった為、北条氏に半分の年貢を収め、残り半分を武田氏の重臣であった「小山田信茂」に年貢を納めるという状況にあったようです。
この同盟はいつ崩壊してもおかしくない「敵」同士だった為、もし合戦になった場合には、領主と半役関係にあった津久井城はどちらに味方してもおかしくない立場にいました。津久井衆は北条氏照にとっては「草木のなびく百姓たち」と信用できない存在だったようです。
実際に三増峠の戦いの際には「待ち伏せ攻撃」の態勢を取るつもりが、津久井衆が北条氏照の指示に従わなかった為、武田信玄を打ち損ねてしまいます。この敗戦がきっかけとなり、その後北条氏は領国の強化を図ったとされています※1

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「ツグミ」が砂浴びをしておりました。

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「キブシ」の花が咲いています。

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「ムササビ」の巣箱だそうです。夜に来ると見ることができるそうですが・・・・。

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「四季の広場」と名付けられた公園を見つけて、子供達は大喜びです。気が済むまで遊んでもらいましょう(^^)

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初めて来た「津久井湖城山公園」はとても楽しむことができました(^^)/ 
失敗してしまったのが、飯縄曲輪の傍にある樹齢500年とも言われている「大杉」を見忘れてしまったことです。戦国時代から御神木として、崇められていたそうです。次回来たときには現存する井戸「宝ヶ池」と一緒に見てこようと思っています。

参考文献 ※1 村人の城・戦国大名の城」中田正光著(洋泉社)

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